【テンプル騎士団が形を変えたのがイエズス会 十字軍の世界進出】

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こんにちは、さて、前回の記事で抜けていた、ポルトガルについて。

イエズス会発足に関わる大変重要なポイントです。

聖地エルサレムを奪還するという大義名分で、実際は略奪集団であり、虐殺レイプ集団であり、十字軍の中心であり、一方で現在の金融システムの基礎となったテンプル騎士団がフランスのフィリップ4世により潰されました。

テンプル騎士団は莫大な資金を元手に王様たちに金貸しをしていた。

返済に困った王様達が、借金を踏み倒し、テンプル騎士団の財産を奪おうとした。

これがヨーロッパ全土に広がっていったわけです。

しかし、ポルトガルだけは、イスラム勢力を追い出したレコンキスタに貢献したという理由で、テンプル騎士団は解散されましたが、その代わりにキリスト騎士団として存続を許される事になったのです。

一方、フランスのテンプル騎士団の財産はマルタ騎士団に引き継がれます。

(Wikipediaより)

キリスト騎士団(キリストきしだん、ポルトガル語: Ordem Militar de Cristo)は、ローマ教皇の命令により1312年に廃止されたポルトガルのテンプル騎士団に相当する勲位である。以前は主イエス・キリスト王立騎士団(Real Ordem dos Cavaleiros de Nosso Senhor Jesus Cristo)であった。カトリック教会の影響下にあった他の主権国家ではテンプル騎士団に対して追及と裁判が行われたが、これを拒んだポルトガル王ディニス1世の保護を受けて1318年に創設された。

フランス王フィリップ4世からの強い圧力のもと、教皇クレメンス5世はフランスをはじめとする欧州のほとんどでテンプル騎士団を異端の罪によって廃止したが、ポルトガル王ディニス1世はいかなる勲位であっても王がその資産を没収するのではなく、該当する勲位がそれらを継承すべきと考え、主にトマールのテンプル騎士団がレコンキスタと戦後のポルトガル復興に尽力したことから同騎士団をキリスト騎士団として再構成した。ディニス1世は新たな騎士団の承認と、その騎士団がテンプル騎士団の資産と財産を継承する権利について教皇クレメンスの後継者ヨハネス22世と交渉した。

(Wikipediaおわり)

テンプル騎士団を救ったディニス1世。

テンプル騎士団の財産を大航海時代の資金とし、その後のポルトガル全盛期の礎を築いた人物です。

(Wikipediaより)

ディニス1世(Dinis I または Diniz I, 1261年10月9日 - 1325年1月7日)は、第6代ポルトガル王(在位:1279年 - 1325年)。アフォンソ3世と2番目の王妃ベアトリス・デ・カスティーリャ(カスティーリャ王アルフォンソ10世の庶子)の長男。農民王(O Lavrador)の異名で知られている。

ディニス1世は、従来ラテン語を用いた公文書をポルトガル語にするよう決定し、リスボンに、エストゥード・ジェラル(一般教養学院)を創設した。コインブラ大学の前身である。1290年、教皇勅使書により大学となり、ポルトガル語の文法、教会法、民法、医学を教えた。

リスボンとポルトが、フランドル・地中海間の中継港として繁栄しており、1317年、ジェノヴァからマヌエル・ペサニャ(イタリア名エマヌエーレ・ペサーノ)を招聘して商船隊長官とし、航海技術指導に当たらせた。

ポルトガル国内のレコンキスタに貢献したテンプル騎士団は、1312年にフランス王フィリップ4世に取りつぶされていたので、王は教皇から新しい宗教騎士団イエス・キリスト騎士団の創設許可を取り付け、テンプル騎士団がポルトガル国内に所有していた財産を譲り受けることに成功した。大航海時代にこの騎士団の総長を務めたのがエンリケ航海王子であり、アフリカ西海岸探検航海の経費はこの騎士団の財産と収入で賄われた。

王は貴族たちに「我々は騎士であるとともに、所有する土地の耕作者であることを名誉とすべきである。」と説き、沼沢の干拓、荒れ地の開拓によって整備した農地に果樹、ぶどうを植えさせた。また、レイリアの海岸に、海岸の砂の飛来を防ぐ防風林として松を植えさせた。後年この松林は、大航海時代に活躍したポルトガル船の建造に役立った。

漁業では、捕鯨とマグロ漁を始めさせ、ポルトガル漁民がイングランド領海で出漁することをイングランドに認めさせた。

商業発展のため、国内各地に課税免除の「自由市」を作った。穀物、オリーブ油、ワイン、塩、塩漬け魚の輸出に力を入れ、フランドル、フランス、イングランド、イタリアとの貿易を振興した。

晩年、王が庶出の王子をかわいがる姿を危惧したアフォンソ王子は譲位を迫ったが、王が拒否したため、1320年に反乱を起こした。王妃イザベルが仲裁に入り、1324年に和解した。翌1325年にディニスは死去し、王子はアフォンソ4世として即位した。

(Wikipediaおわり)

このディニス1世を辿って行くと、ブルゴーニュの家系である事が分かります。

ポルトガル王国は、フランスのブルゴーニュ家出身の国王アフォンソ1世がブルゴーニュ朝として始まりました。

ポルトガル王国を建国したブルゴーニュ王朝(ボルゴーニャ王朝)の初代ポルトガル王アフォンソ1世はマファルダ・デ・サボイアと1146年に結婚。

なんだよ、またサヴォイかよ・・・

前回の記事でも書きましたが、大昔からサヴォイなんです。

ウンベルト2世とブルゴーニュ伯ギヨーム1世の娘ジゼルとの長男、アメデーオ3世・ディ・サヴォイア。

ギヨーム1世の他の四女、クレマンス(1078年 - 1129年) フランドル伯ロベール2世と結婚、のちブラバント公ゴドフロワ1世と結婚。

ブラバント公アンリ2世は現在のベルギー王の家系で、ヘッセン方伯の祖であるハインリヒ1世(1244年 - 1308年)の父です。

そして、ブルゴーニュにはヴェルフ家の血筋も入っています。

これらの家系は、大昔から、もう絶対的に、現在まで地位を譲らずに続いています。

で、この存続されたテンプル騎士団改め、キリスト騎士団ですが、エンリケ航海王子という、大航海時代の探検事業家を総長とし、アフリカ侵略を始めます。

エンリケ航海王子の父である、ジョアン1世が、ポルトガル王国アヴィス王朝を開きました。

エンリケの死後、アメリカ大陸、日本にまで触手を伸ばし、世界中で十字軍活動を行いました。

エルサレム奪回の道中でやって来た事と同じです。

この正体はイエズス会です。

イエズス会=テンプル騎士団と言っていいんじゃないでしょうか?

Wikipediaにもありますが、16世紀初頭から宗教改革の嵐に晒されていたカトリック教会は相次いで成立したプロテスタント諸派に対抗するため、海外での新たな信者獲得を計画し、強固なカトリック教国であるポルトガル・スペイン両国の航海に使命感溢れる宣教師を連れ添わせ、両国が獲得した領土の住民への布教活動を開始した。

ヨーロッパでは人気のなくなって来たカトリックは海外に活路を見出したのです。

その証拠に、大航海時代に活躍した帆船には、テンプル騎士団の旗が描かれていました。

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ヨーロッパで徹底的に潰されたポルトガルのテンプル騎士団、ホスピタル騎士団、カラトラーバ騎士団、アヴィス騎士団、サンティアゴ騎士団などの騎士修道会は、レコンキスタでイベリア半島からイスラム勢力を追い出し、ポルトガルで名前を変えて存続し、今度はアフリカ、アジア、アメリカで略奪ビジネスを開始したということです。

これがポルトガルとスペインから始まった大航海時代の正体です。

フランスのテンプル騎士団の財産を受け継いだ現在のマルタ騎士団の本部はバチカンに在ります。

テンプル騎士団→マルタ騎士団→イエズス会・バチカン

日本の天皇はマルタ騎士団のメンバー。

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これでもイエズス会・バチカンは神に仕える堅気の組織だと思い、崇める人がいるのです。

で、これでも天皇陛下万歳という人が大半を占める日本人って、正気じゃないですよね。

こういう事を言うと、お前は左翼か?という人がいますが、違います。

何故なら、左翼も右翼もベルファシですからね。

第二次大戦後の戦犯を決定する裁判の行方はガーター騎士団ー>300人委員会―>マッカーサー経由で命令が出ていたんです。

いまさら別に驚く事では在りませんが、天皇家は明治からずっとガーター騎士団のメンバーです。

ガーター騎士団のメンバー(外国人を中心に抜粋)

フェリペ3世、ブルゴーニュ公 1396-1467

アフォンソV、ポルトガル王 1432-1481

アルフォンソV、アラゴンとナポリ王 1396-1458

チャールズ、ブルゴーニュ公 1433-1477

フェルディナンド2世、アラゴンとカスティーリャの王 1452-1516

ジョンII、ポルトガル王 1455-1495

フィリップ、ブルゴーニュのオーストリア、デュークの大公 1506

チャールズ、ブルゴーニュ公の大公 1500-1558 神聖ローマ皇帝

マヌエル、ポルトガル王 1469-1521

スペインのフィリップ王子 1527-1598フェリペ2世、スペイン王

エマニュエル·フィリベール、サヴォイ公 1528-1580

シャルル9世、フランス王 1550-1574

ヘンリー3世、フランス王 1551-1589

ルドルフII、神聖ローマ皇帝 1552-1612

フリードリヒ2世、デンマークとノルウェーの王 1534-1588

モーリス·ド·ナッソー 1567-1625モーリス、オラニエ王子

フレデリック·ヘンリー、オラニエ王子 1584-1647

ウィリアムII、オラニエ王子 1625-1650 1645

ウィリアム3世、オラニエ王子 1650-1702 イングランド王

ウィリアムIV、オラニエ王子 1711-1751

フレデリック、ヘッセン·カッセル方伯 1720-1785

ウィリアムV、オラニエ王子 1748-1806

ウィリアムIX、ヘッセン·カッセル方伯 1743-1821

ウィリアムVI、オラニエ王子 1772-1843 オランダの王

ジョン·VI、ポルトガル王 1767-1826

ナポレオン三世、フランスの皇帝 1808-1873

ビクターエマニュエルII、サルデーニャ島の王 1820-1878

ピーターV、ポルトガル王 1837-1861

プリンスヘッセンのルイとライン川 1837-1892 ヘッセン大公

ルイI、ポルトガル王 1838-1889

クリスチャンIX、デンマークの王 1818-1906

ルイIII、ヘッセン大公とライン川 1806-1877

アブドゥルアジズ、オスマン帝国のスルタン 1830-1876

プロイセンの王子ヴィルヘルム 1859-1941 ドイツの皇帝

ウンベルト、イタリアの王 1844-1900

アルフォンソXII、スペイン王 1857-1885

ウィリアム3世、オランダの王 1817-1890

ビクターエマニュエル、ナポリの王子 1869-1947 イタリアの王

ロシアニコラスアレクサンドロヴィチ 1868-1918 ニコライ2世

アルフォンソXIII、スペイン王 1886-1941

サヴォイ、アオスタ公爵の王子エマニュエルフィリベール 1869-1931

ルイス·フィリペ、ポルトガルの王子ロイヤル 1887-1908

明治天皇(睦仁)日本の天皇 1852-1912

大正天皇(義仁)日本の天皇 1879-1926

クリスチャンX、デンマークの王 1870-1947

アルバートI、ベルギー人の王 1875-1934

フェルディナンド、ルーマニアの王 1865-1927

昭和天皇(裕仁)日本の天皇 1901-1989 1941除名、1971年に復帰

レオポルドIII、ベルギー人の王 1901-1983

ウィルヘルミナ、オランダの女王 1880-1962

ルイ·マウントバッテン、ビルマの子爵マウントバッテン 1900-1979

フィリップ·マウントバッテン、エディンバラ公 1921

フレデリックIX、デンマークの王 1899-1972

グスタフVIアドルフ、スウェーデン国王 1882-1973

ハイレ·セラシエ、エチオピアの皇帝 1892-1975

ジュリアナ、オランダの女王 1909-2004

ボードワン、ベルギー人の王 1930-1993

ジャン、ルクセンブルク大公 1921

カール16グスタフ、スウェーデン国王 1946

フアン·カルロス国王、スペイン王 1938

オランダ女王  1938

平成天皇(明仁)日本の天皇  1933

ハラルドV、ノルウェーの王  1937

これでもあなたは神を信じますか?

上の赤字にした人物、彼が国王に成り済ましオランダ東インド会社として日本に多大な影響を与えた人物です。

1609年(慶長14年)、日本(江戸幕府)に進出したオランダ東インド会社はマウリッツをオランダ「国王」とする書簡を駿府で前将軍(大御所)徳川家康に提出し、朱印状による交易を認められた。以後、オランダ東インド会社はオランダ総督を「国王」とするフィクションを維持することになる。

このガーター騎士団メンバーの抜粋を見て、何か気が付きませんか?

カソリックもプロテスタントも関係ないんです。

仏教、イスラムですら、関係ない。

正反合ですから・・・

このガーター騎士団や300人委員会の末端にMI6があります。

例えるなら、ガーター騎士団とは、エリザベス女王のヤタガラスみたいなものなんです。

それでは。

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