【日韓併合・朝鮮戦争の目的と最近の朝鮮半島情勢の目的は同じ】

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くどいですが、前回の記事の冒頭に書きました、

北朝鮮にミサイルを打たせているのは、旧KGB派閥。

KGBのバックはバチカン

バチカンでも赤の法王ですから、フリーメイソンということになります

これが大間違いで、二元論に惑わされているという指摘を名無し先生からいただきました。

読書の方々の信用を失うような情報でした。

お詫びと同時に削除させて頂きます。

北朝鮮にミサイルを撃たせているのは、やはり日本の裏政府=3羽カラスの一派です。

核兵器部品を提供しているのも日本の裏政府=3羽カラスの一派。

派閥の名前も●●●で、摂関家の人物と教わりました。

以前にも記事にした人物なので、別に伏字にしなくても良いのですが、気分的に・・・

具体的には先日書きましたジャーディン・マセソンがフリーメイソン系とすると、その敵対勢力の3羽ガラスの一派が武器部品を日本で製造、香港近くの中華人民共和国の特別経済区で組み立て、北朝鮮に提供しているのです。

前回書いた旧KGB派閥というとプーチンを連想させてしまいますが、逆にプーチンは人身御供=スケープゴートに利用されているという、ベルファシお得意の二元論(◯✖️VS✖️◯といった対立構造の罠)に私がハマった結果になってしまいました。

日本(沖縄)=台湾=フィリピン=ボルネオという中国やロシアとアメリカの間にある列島ラインのうち、フィリピンからはジャーディン・マセソンは武器製造利権は撤退させられましたが、ジャーディン・マセソンはミンダナオ島に工場を持っています。

こちらは除草剤、殺虫剤といった農薬やシロアリ駆除剤といった建築用の毒を作っています。

これらはベトナム戦争で使用された、枯葉剤などの兵器に利用可能な製品です。

もう一つはジャーディン・エンジニアリング・コーポレーション(JEC)で、マニラにあります。

下記はジャーディン・マセソン・フィリピンのサイトの翻訳です。

Google自動翻訳なので日本語がおかしいですが・・・

まずは農薬、殺虫剤等の毒を生産している会社から。

私たちに関して

Jardine Mathesonグループのメンバー企業で、Jardine Engineering Corporation、HKの枠組みの下で働くJardine Distribution Inc.は、農業用および施工用化学製品の卸売業者です。

当社の作物保護製品には、米、トウモロコシ、マンゴー、その他の果物や野菜を含む幅広い農作物に使用するための殺虫剤、殺軟体薬、除草剤、殺菌剤が含まれています。

当社の施工化学製品の範囲には、木材防腐剤、土壌防蟻剤、防水剤、セメント混和剤、その他の様々な家庭用害虫防除製品も含まれています。

歴史

当初、Jardine Davies Inc.グループの一員でした。Jardine Daviesは、香港のJames Matheson&Co.がTheo H. Davies&Co.、Ltd(ハワイ)に買収された後、1974年にその名称を取得しました。

ジャーディン・デイヴィスは、フィリピン証券取引所に上場し、フィリピン証券取引所に上場する初の外国人フィリピン企業の1社でした。

ジャーディン・ディストリビューション社は、ジャーディン・デイヴィスの農業・建設化学部門を含む2004年に正式に組織されました。


次に大規模なインフラ設備を受けているジャーディン・エンジニアリング・コーポレーション(JEC)。

この会社はアヤラ財閥と組んで不動産もやっています。

インドネシアのアストラ同様、こちらの大手財閥の一つ、アヤラ財閥の背後にジャーディン・マセソンがいます。


JECは、アジア全域のエンジニアリングおよびビルディングサービスおよび製品の信頼できる供給業者であり、契約された設置および保守ならびに専門製品および調達を提供しています。

締約国
JECは、深いエンジニアリングの専門知識と比類のない深い経験と豊富なリソースに基づいて、アジア地域における契約サービスの主要プロバイダーの1つです。

JECの
契約ソリューションの詳細については、こちらをご覧ください。  >
サービス
JECは、アジアの主要エンジニアリング企業の1つで、設備管理、オペレーション&メンテナンス、アセット・エンハンスメント、エネルギー管理などの分野において、他に類を見ないサービスと専門家のアドバイスを提供しています。

JECの
サービスソリューションについて詳しくは、こちらをご覧ください。  >
製品とソーシング
JECは、しばしば当社の中国事務所のリソースを活用している、長い間確立されたサプライヤーとコンタクトのネットワークを通じて、あらゆる規模のプロジェクトに適したフィッティング、製品、コンポーネントを正確に特定し、供給し、供給することができます。

JECの
製品およびソーシングソリューションの詳細については、こちらをご覧ください。  >

JECはあらゆる組織に幅広い製品とサービスを提供することができますが、建物、環境インフラ、運輸&物流の3つの主要セクターで深い経験があります。 

建物
私たちの建物は商業、居住、産業のすべての要件をカバーしています。JECは、アジア地域全体で1億平方フィート以上の施設にサービスを提供しています。

JECの
建築分野に関するソリューションの詳細をご覧ください。  >
環境インフラ
下水処理分野で30年以上の経験を持つJECは、不快な臭気を防ぐ環境に優しい超酸化技術を香港の排水施設に導入するなど、革新的な環境インフラソリューションを提供し続けています。

JECの
環境インフラ部門のソリューションの詳細については、こちらをご覧ください。  >
輸送および物流
輸送&ロジスティクスでは、香港国際空港やバンコクのスワンナプーム国際空港から、香港のMTRCなど地元の鉄道まで幅広くご利用いただけます。

JECの
輸送および物流分野のソリューションの詳細については、こちらをご覧ください。  >


で、今回は朝鮮半島情勢の真相を書きたいと思います。

日韓併合の目的

南下政策を進めたロシア皇帝ニコライ1世のロシア帝国が強引な拡張政策を続けていた。

ロシアの拡張政策は極東に達し、清国ではアイグン条約及び北京条約によってロシアへの外満州割譲が行われた 。

日本では樺太問題ロシア軍艦対馬占領事件によって、ロシアとの対立が発生した。

忘れてはならないのは、ニコライ2世は最後のロシア皇帝(在位1894年11月1日 - 1917年3月15日)。

皇后はヘッセン大公国の大公女アレクサンドラ・フョードロヴナ(通称アリックス)。皇子女としてオリガ皇女タチアナ皇女マリア皇女アナスタシア皇女アレクセイ皇太子がいる。ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世イギリス国王ジョージ5世は従兄にあたる。

ロシア南下による脅威から日露戦争が始まります。

そして、再度ロシアが欲を出さないように日韓併合。

という流れです。

でも、もう一つの目的がありました。

日韓併合初期の時代は景気が良かったんです。

何にも無いところに一つの国を作ったんですから。

1912-1913年の在日アメリカ大使 Larz Anderson の妻で作家の Isabel Anderson が、日本へ赴任の際に韓国に立ち寄った時の手記によると、「寺内総督統治の下、韓国に多くの発展があった。これは、地元の人と征服者の間に摩擦無く成し遂げられるとは限らないが、その結果は確かに驚くべきものだと認めなければなるまい。政府は再編成され、裁判所が確立され、法が見直され、景気が良くなり、交易が増えた。農業試験場が開設されて農業が奨励され、内陸から海岸まで鉄道が敷かれ、港が浚渫されて灯台が建立された。韓国への日本の支出は毎年1,200万ドルに上っている。」

しかし、これは1912〜1913年の話で、その後、1930年代には朝鮮から日本に朝鮮人、安価な農産物が流れ込み、日本本国の産業は困窮します。

1891年4月27日にニコライ皇太子を乗せたロシア軍艦が長崎に寄港した。

日本政府は復活祭を配慮して5月4日までニコライの予定を組まなかったが、その間もニコライはお忍びで長崎の町を探索した。

ニコライは長崎の印象について日記の中で「長崎の家屋と街路は素晴らしく気持ちのいい印象を与えてくれる。掃除が行き届いており、小ざっぱりとしていて彼らの家の中に入るのは楽しい。日本人は男も女も親切で愛想がよく、中国人とは正反対だ。」という感想を書いている。

大津事件

5月11日、大津に入り、琵琶湖唐崎神社を見学した。しかし同日、大津から京都へ戻る際、滋賀県警察部所属の警察官津田三蔵巡査人力車に乗っていたニコライ皇太子にサーベルで斬りかかり、彼の右耳上部を負傷させた。切り傷そのものはそれほど深くなかったものの、重いサーベルによる斬撃を受けたため頭蓋骨に裂傷が入った(には届かなかった)。これ以降ニコライは終生、傷の後遺症と頭痛に苦しむようになった。

この件で後のニコライは日本人を「黄色い猿」と呼ぶほど憎しみを持ちました。

日露戦争


イギリスは、ロシアの南下が自国の権益と衝突すると危機感を募らせ、1902年(明治35年)に長年墨守していた孤立政策(栄光ある孤立)を捨て、日本との同盟に踏み切った(日英同盟)。

南アジアおよび清に権益を持つイギリスは、日英同盟に基づき日本への軍事、経済的支援を行った。露仏同盟を結びロシアへ資本を投下していたフランスと、ヴィルヘルム2世とニコライ2世とが縁戚関係にあるドイツは心情的にはロシア側であったが具体的な支援は行っていない。

なお、イギリスとフランスは開戦直後の1904年4月8日英仏協商を結んでいる。

高橋是清はイギリスの銀行家たちと1ヶ月以上交渉の末、ようやくロンドンでの500万ポンドの外債発行の成算を得た。イギリスのデーヴィッド・キャメロン首相の高祖父は、当時の香港上海銀行ロンドン支店長であり、高橋が戦費調達のため、イギリスを訪れた際には、この支店長から助力を得たというエピソードがある。またロンドンに滞在中であり、帝政ロシアを敵視するドイツ系のアメリカユダヤ人銀行家ジェイコブ・シフの知遇を得、ニューヨークの金融街として残額500万ポンドの外債引き受けおよび追加融資を獲得した。

ロシアが日露戦争に負けた要因の一つは国内に蔓延していた革命機運であった。日露戦争勃発当初はロシア国内でも左右を問わず愛国ムードが高揚したが、小国の日本を相手にしながら軍事的失敗が続くなかで、国内での亀裂が再び深まった。学生運動を行っていた大学生らは軍に入隊させられるやアジテーターと化して部隊の士気を低下させようとしたほか、鉄道員にも心理工作を仕掛けてロシア帝国の生命線である軍の極東移動の妨害も図った。

血の日曜日事件

1905年1月9日、莫大な戦費や戦役に苦しんだ民衆が皇帝への嘆願書を携えてサンクトペテルブルク冬宮殿前広場に近づくと、兵士は丸腰の10万の群衆に発砲し、2,000 - 3,000人の死者と1,000 - 2,000人の負傷者を出した(血の日曜日事件)。敗戦による威信の低下に加え、皇帝が民衆に対して友好的であるという印象が崩れ去り、国民統合の象徴としての存在感を失った。この事件を受けプレーヴェ暗殺後に内相を務めていたスヴャトポルク=ミルスキーを解任して、後任にアレクサンドル・ブルイギンを任命した。さらに2月には自身の叔父にして副都モスクワの総督を務めるセルゲイ大公が暗殺された。

1910年(明治43年)8月22日に、韓国併合条約が寺内正毅統監李完用首相により調印され、大日本帝国は大韓帝国を併合し、その領土であった朝鮮半島領有した。

1914年6月、サラエヴォ事件が起き、7月28日にオーストリア=ハンガリーがセルビアに宣戦を布告すると、ロシア軍部は戦争準備を主張し皇帝へ圧力を掛けた。ニコライ2世とドイツ皇帝ヴィルヘルム2世との間の電報交渉は決裂し、彼は第一次世界大戦拡大の要因の一つといわれるロシア軍総動員令を7月31日に布告して、汎スラヴ主義を掲げて連合国として参戦、ドイツとの戦端を開いた。開戦によりドイツ語風の名をもつ首都サンクトペテルブルクも、これをロシア語に訳したペトログラードと改められた。しかしタンネンベルクの戦いでは、敵の3倍近い兵力を有していながら1個軍(20万人相当)を喪失するという壊滅的な敗北を経験した。

さらに1915年春には、兵装や輸送・通信システムなどにおいて先進的な近代機器を擁するドイツに対して相次ぐ大敗を喫し、戦況が悪化した同年夏には「大退却」を余儀なくされる。同年9月5日、皇帝はラスプーチンの予言もあって、ほとんどの閣僚が反対したにも関わらず、従叔父にあたる最高司令官ニコライ・ニコラエヴィチ大公を罷免し、自ら前線に出て最高司令官として指揮を執った。しかし、これは他の連合国から信頼の厚かったニコライ大公に代わるもので、現場では必ずしも好評ではなかった。ただし、1916年6月に敵国ドイツを参考に浸透戦術を用いたブルシーロフ攻勢では、オーストリア=ハンガリー帝国軍を主力とした相手に辛くも勝利をつかんでいる。

親征のため皇帝不在の首都ペトログラード(ペテルブルク)では、ニコライ2世から後を託されたアレクサンドラ皇后とラスプーチンが政府を主導していたが、気に入らない人物を次々に罷免するなど失政が目立った。このため人気のなかった2人に対して、貴族から民衆までが、彼らの出自を揶揄した「ドイツ女」「怪物」と蔑んで憎悪の対象とした。皇后とラスプーチンの肉体関係さえ噂され、皇族の権威はさらに失墜した。

ロマノフ家に対する批判的機運が高まったことから、保守派は帝政を救おうとしてニコライ2世の譲位を画策した。1916年12月、ラスプーチンは皇帝の従弟にあたるドミトリー大公や姪の夫ユスポフ公らによって暗殺され怪死を遂げるが、それでも皇帝は孤立の度合いを深めるばかりであった。

1917年1月には、改善しない戦況と物資不足に苦しんだ民衆が蜂起した。これには軍隊の一部も反乱に合流し、ロシア全土が大混乱に陥った。前近代的な社会体制からくる矛盾をついに克服できなかった帝政ロシアにとって、近代的な総力戦を継続することは既に限界に達していたのである。

このブログでは何度も書きましたが、これで帝政ロシアの崩壊が始まり、最終的には一家が処刑される(本当は処刑されていないと私は思います)わけですが、私はニコライ2世に送られたヘッセン家が崩壊に陥れたのだと思っています。

ちょうど、ジャーディン・マセソン・ジャパンの社長=>会長である安田弘がジャーディン・マセソン株式会社代表取締役社長、1989年(平成元年)4月同社会長に就任したのと、安田一族にオノヨーコがいる点で、こういう陰謀はあるのだと思います。


ジョン・レノンはイルミナティの存在に気付き、彼らが戦争を煽っていることにも気付き、それを公表しようとし、反戦運動に打ち込んみ、ヨーコは好まざるも彼女の手引きにより、彼らに操られ、ジョンレノンは彼らに殺された。

日露戦争もヘッセンは日本に資金とロシアに嫁を同時に送り込み、ロマノフの金塊を手にいれた。

明治維新後、初めて日本を訪れたのは、何を隠そうエジンバラ公です。

アルフレートAlfred1844年8月6日 - 1900年7月30日)は、第3代ザクセン=コーブルク=ゴータ公(在位:1893年 - 1900年)。全名はドイツ語アルフレート・エルンスト・アルベルトAlfred Ernst Albert)もしくは英語アルフレッド・アーネスト・アルバートAlfred Ernest Albert)。ニックネームはアッフィAlfie)。ザクセン=コーブルク=ゴータ公子アルベルト(英語名アルバート)とその妻であったイギリス女王ヴィクトリアの次男。イギリス王族としてエディンバラ公にも叙されていた。

日本との関係では、明治維新から間もない1869年に来日した。欧米諸国の王族が日本を訪問したのはこの時が初めてとされている。

子女

妃のマリヤとの間には、以下の1男4女をもうけた。名前は全て英語名で記載。


話を戻します。





出来事
韓国 北朝鮮
1895年(明治28年)
閔妃暗殺(乙未事変
1896年(明治29年) 露館播遷
1897年(明治30年) 大韓帝国に国号変更
1904年(明治37年)
1905年(明治38年)
日露戦争終結
1907年(明治40年)
純宗即位
1909年(明治42年)
適当の時期に韓国併合を断行する方針を閣議決定
1910年(明治43年)
韓国併合
1911年(明治44年) 朝鮮教育令発布
1919年(大正8年) 三・一独立運動
1945年(昭和20年) 分割占領、朝鮮総督府解体
北緯38度線以南 アメリカ合衆国が占領 北緯38度線以北 ソビエト連邦が占領
1948年(昭和23年) 大韓民国建国 朝鮮民主主義人民共和国建国
1952年(昭和27年)
日本、朝鮮に対する権利、権原及び請求権を放棄

1965年(昭和40年)
日韓基本条約調印 発効
日本は大韓民国を全朝鮮の正統政府として承認


1945年(昭和20年)8月15日、大日本帝国は第二次世界大戦における連合国に対する敗戦に伴って実効支配を喪失し、ポツダム宣言の条項を誠実に履行することを約束した降伏文書調印によって、正式に大日本帝国による朝鮮半島領有は終了した。

条約上の領有権の放棄は、1952年(昭和27年)4月28日サンフランシスコ平和条約発効によるが、1945年9月9日朝鮮総督府が、連合国軍の一部として朝鮮半島南部の占領にあたったアメリカ軍への降伏文書に署名し、領土の占有を解除した。

代わりに在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁(アメリカ軍政庁)が統治を開始した。


その後朝鮮半島は、北緯38度線を境に南部はアメリカ軍、北部はソビエト連邦軍の2つの連合国軍を中心にした分離統治が続き、1948年李承晩がアメリカ軍政庁からの独立を宣言して南部に大韓民国第一共和国が建国され、同年、北部にソビエト連邦の後押しを受けた金日成を指導者とする朝鮮民主主義人民共和国が建国された。


一時は日本の思惑通りに事は運んだのですが、第二次世界大戦での敗北により朝鮮半島喪失。

この頃、ユーラシアの大国ソヴィエトを中心とした東欧、中国という共産圏の脅威、つまり、資本主義圏の市場が縮小方向に向かいます。

戦争に投資した資本家の目的は戦費を貸し付け、武器販売と戦後の復興で利息も含めた利益を享受する。

それだけにとどまらず、戦争により自由化された国々の新たな市場でビジネスを展開する。

市場に蒔いた彼らの資本は、市場を独占していれば、必ず彼らの企業に最終的には戻ってきます。

彼らのばらまいたお金が彼らのお店、企業で消費されるからです。

しかも利益を上乗せして。

日韓併合とは、日本国内のヘッセン陣営による、ロマノフの財宝略奪の一環。

日本はロマノフを崩壊させた駒の一つ。

日本国内のヘッセン陣営とは冒頭の3羽ガラスの一派で日本の裏政府。

日本はイギリスによるアヘン戦争でヘロヘロになっていた清に日清戦争で勝たせてもらい、朝鮮と遼東半島を手に入れました。

しかし、ドイツ、フランス、ロシアによる三国干渉という遼東半島を手放さないと戦争すると脅され遼東半島を手放し、上記三国は遼東半島を清から租借する(借りる)という名目で手に入れ、さらに清国の領土の領有権を次々に主張してゆき、とうとう朝鮮半島のすぐ北に自国の軍を配備するまでにいたったのでした。

日本は遼東半島を手放しましたが、そこへドイツ、フランス、ロシアのライバルイギリスが近寄ってきて日英同盟を締結。

日露戦争に勝ち、というか、途中でレフェリーアメリカが仲裁して日本に判定勝ちを与えました。

そして朝鮮を日本に併合させます。

ロシアは第一次世界大戦で撤退。

そしてロシア革命でロマノフ崩壊。

これら一連の動きが全てマッチポンプに見えて仕方がありません。

国際金融資本の目から見れば、これらの出来事は彼らが仕組んだ出来事なのです。

朝鮮半島は資本主義と共産主義の狭間にある。

国際秩序維持派は、基本的に資本主義に反対ではありません。

民への富の分配が少なすぎることに懸念を示しています。

富の集中です。

朝鮮を取りたかった日本の裏政府=ヘッセン陣営はここで一旦挫折します。

これはちょうどオスマン帝国を取りたかったイギリスのヘッセン陣営の挫折と同じ時代です。

唯一、ロマノフの金塊だけは手に入れました。

そして第二次世界大戦を引き起こしますが、ここでも失敗しイギリスはポンドの基軸通貨の地位を失います。

日本は敗戦。

日本をアメリカの支配下に置き、共産主義阻止の大義名分で朝鮮半島に目を向けるアメリカというかアメリカの資本家たち。

それとは別の目的で動いた3羽ガラスの一派で日本の裏政府。

アメリカに占領された南部分と北に生き延びた日韓併合3羽ガラスの一派で日本の裏政府。

朝鮮戦争

第二次世界大戦中の1943年11月に、連合国カイロ宣言に於いて、1910年より日本領となっていた朝鮮半島一帯を、大戦終結後は自由独立の国とすることを発表し、1945年2月に開催されたヤルタ会談の極東秘密協定にて四ヶ国による朝鮮の信託統治が合意された。

1945年8月8日よりソ連対日参戦により満洲国に侵攻したソ連軍赤軍)は8月13日当時日本領だった朝鮮の清津市に上陸していたが、同じく連合国を構成していたアメリカ合衆国は、1945年4月12日大統領に昇格したハリー・S・トルーマン反共主義の下で、ソ連軍に朝鮮半島全体が掌握されることを恐れ、ソ連に対し朝鮮半島の南北分割占領を提案。ソ連はこの提案を受け入れ、朝鮮半島は北緯38度線を境に北部をソ連軍、南部をアメリカ軍に分割占領された。

1945年8月15日日本ポツダム宣言を受諾、連合国に降伏、朝鮮は解放された。しかし8月24日平壌に進駐したソ連軍は朝鮮半島北部を占領、既存の朝鮮建国準備委員会を通じた間接統治を実施し、朝鮮半島南部には9月8日仁川に上陸したアメリカ軍朝鮮建国準備委員会を解体した後、在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁による直接統治を実施、朝鮮半島は米ソ両国によって南北に分断されたまま、朝鮮半島内で抗日運動を行っていた人士や海外から帰国した左翼右翼が衝突する連合国による軍政を迎えた。

その後、米ソ対立を背景に1948年8月15日、南部に大韓民国が建国され、翌9月9日に残余の北部に朝鮮民主主義人民共和国が建国された。南北の軍事バランスは、ソ連および1949年建国の中華人民共和国の支援を受けた北側が優勢で、武力統一支配を目指す北朝鮮は1950年6月、国境の38度線を越え軍事侵攻に踏み切った。

侵攻を受けた韓国側には進駐していたアメリカ軍を中心に、イギリスフィリピンオーストラリアベルギータイ王国などの国連加盟国で構成された国連軍(正式には「国連派遣軍」)が参戦、一方の北朝鮮側には中国人民義勇軍(または「抗美援朝軍」「志願軍」。実態は中国人民解放軍)が加わり、直接参戦しないソ連は武器調達訓練などで支援、アメリカとソ連による代理戦争の様相を呈した。


代理戦争をしかけたのはアメリカとソ連ではなく、3羽ガラスの一派で日本の裏政府。


今回の北朝鮮騒動の真相は、北朝鮮はこの3羽ガラスの一派で日本の裏政府のためにミサイルを撃たせている。

パチンコ等の収益を国士舘大学を通し北朝鮮に資金を流し、そのカネで武器部品を日本から買う。

理由は、安倍政権が国民の安全を守るという大義名分のもと、再軍備することを日本国民及び周辺国に認めさせるのが目的です。

在日米軍基地には核を配備します。

そして休戦状態にある朝鮮戦争の再開。

今度の結果は前回の朝鮮戦争のように休戦ではなく韓国側が勝利し民主化するというシナリオ。

韓国側も北朝鮮側も日本の裏政府も両方とも同じ家系、李氏だということ。

最後はロシアと対峙させて、日本は後方支援で景気回復という、高度成長期を再び・・・みたいな。

日韓併合についても、何もなかった朝鮮半島に国を作ったようなもんですから、最初は景気が良かったんです。

ですので、時代により多少の違いはありますが、日韓併合=朝鮮戦争=今回の朝鮮問題の目的はみんな同じなんです。

追記:同じ質問が相次ぎましたので追記しますが、これは日本の裏政府●●側の思惑ですよ。
   決して国際秩序維持派の考えではありません。過去に日本の裏政府はこのようなこと
   を仕掛けて、ある程度成功しているということです。

それでは 

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