【鴨ネギの意味】
- 2020/06/11
- 03:49
以前ヨーロッパ方面に拡がったウバイド=倭人の動きを見ました。
読者の皆様に勘違いされては困るので補足させてください。
決して私はヨーロッパに拡がっていったウバイドが散らばった地域全体が悪とは言っていません。
っていうか、日本はまだまともです。
しかし、ある一部がアイデンティティーが確立できない個人、団体、地域、国、民族に対し、ウバイドという存在やその哲学を教え、悪意を持って一つの目的に突き進ませる洗脳が現在進行形で行われているということ。
ユダヤ人みたいなスケープゴートを平行して作っておき、二元論でそれを利用して戦争産業を維持したいグループがいる。
この流れの中に例えばヘッセン等の傭兵ビジネスとかそれらがユダヤ人を使っている。
キリスト教で禁じられていた利子を取る金融はユダヤ人にしかさせなかったのはそのため。
庶民の生活が苦しいのはユダヤ人のせいだという事にするため。
ロシアや東欧ではヒトラーが現れる以前からユダヤ人の大虐殺が行なわれてきました。
民衆は完全に騙されていたわけで、その背後の存在には気付くことはなかった。
今回のコロナウイルス騒動のように、簡単に扇動される民衆は愚かで、こういったグループの作戦通りに動かされてしまうのです。
そして私はユダヤ人を擁護しているわけでもありません。
彼らは彼らでホロコーストビジネスで賠償金をせしめ、政治家を動かしています。
そもそも一言でユダヤ人を括ることは不可能です。
大昔からアジア、アフリカで暮らすユダヤ人。
それから、コーカサスのハザールで突然改宗した偽物のハザール系ユダヤ人というのは誤り。
つまり、ハザールのアシュケナジーは偽物ではなく、聖書に登場する人物はここから来ています。
現代、イスラエルに住んでいるユダヤ人はある意味、本物です。
ネットでは偽物=ハザールという事になっていますが、それが彼らの常とう手段。
いつもこうやって誹謗中傷をあびせる対象を作って置くのです。
そして新アッシリア、新バビロンによる度重なる捕囚でシルクロード経由で中国を支配するも破滅し日本まで到達したユダヤ人。
様々です。
さて、再びアッシリアから話を始めます。
アッシリアは多くの民族を属州、属国として、支配しました。
紀元前8世紀のティグラト・ピレセル3世の治世が最盛期です。
アッシュールパニバルの時代、アッシリアは巨大な勢力を築き、征服した地域では首刈り族として非常に恐れられていました。
制圧した領土の人々をバラバラにし、首はさらし首にしたそうです。
抵抗した住民の生皮を剥いで城壁に貼りつけ、串刺しに。
さらに強制移住政策という事も。
抵抗しそうな地方の民族を別の場所に移住させる。
これらの民族は生活の基盤を奪う。
アッシリアに抵抗することは不可能になるわけです。
新アッシリアによるイスラエル人の捕囚もその一部。
これにより、周辺国家に恐怖を与え、誰も抵抗出来ない存在になる。
しかし、彼らも恐怖だけでは地域をコントロール出来ません。
やはり、現代にも繋がる、福利厚生だとか、独裁者になるには国民サービスが必要。
それにはお金がかかるので考えたのが宗教。
でもその正体は軍閥。
軍隊で制圧し宗教で抑え込む。
宗教の中に民衆を洗脳する話をちりばめる。
悪いことをすると地獄に落ちるだとか、おとなしくしていれば天国に行けるだとか。
さらに自分たちに非難が集中しないよう、悪者を作ります。
ユダヤ人という存在です。
アッシリアはイスラエル王国を滅ぼしユダヤ人の国はユダ王国のみとなりました。
アッシリアはユダヤ人が逆らえないようにユダヤ人の指導者、労働者をバビロニアに強制移住。
とはいえ全員は連れていけないので、アッシリア捕囚の末に荒廃したイスラエルから出なければならない難民がいた。
中央アジアを経由し中国に入っていったグループです。
このあたりの考察は、名無し先生から間違っているというお叱りを受けるかもしれませんが書きます。
後漢霊帝の末裔が漢氏(あやうじ)で東漢(倭漢)(やまとのあや)と西漢(河内漢)(かわちのあや)の両系にわかれ,その後に渡来した今来漢人(新漢人)(いまきのあやひと)を加え,巨大な氏族として存続。
東漢は,大和国高市郡を中心に勢力をひろげ,7世紀までに,坂上・書(ふみ)・民・池辺・荒田井など多くの直(あたい)姓氏族にわかれ,天武天皇の八色の姓(やくさのかばね)において忌寸(いみき)姓に改められ,8~9世紀には,坂上氏を中心に政界に地歩を占め,宿禰(すくね)賜る氏も現れました。
綾部「あやべ」という地名は、古くから日本に渡来してきた漢氏(あやうじ)が居住していた事に由来します。
3世紀から6世紀ごろの朝鮮半島の南部に、数々の小国家が集う伽耶(かや)諸国があり、伽耶の中の一つの国家であった安羅(あら)国がありました。
漢氏は、この安羅国が出身地で後に「漢部」(あやべ)となったのだろうと言われています。
漢氏は綾織と紡織などの技術を持ち込んだ。
古代の綾部市は、養蚕と製糸の中心地でもありました。
2000年2月9日に、綾部市とエルサレム市の間で友好都市宣言が締結されています。
話が逸れましたが、その後あまりにも残忍な方法で国を抑えていたアッシリアは各地で反乱が頻発し滅んでしまいます。
その後できたのが新バビロニアを含む四国分立時代。
ユダ国王は当時、エジプトと新バビロニアの覇権争いの中、エジプトについたり、新バビロニアについたり優柔不断な国王。
この新バビロニア王ネブカドネザル2世がユダヤ人の捕囚を実行。
しかし、私は捕囚ではなく、亡命だと考えています。
要は、生きるために付いていった。
そのあと、四国を統一したのがアケメネス朝ペルシア。
アケメネス朝ペルシアはバビロン捕囚のユダヤ人たちに帰国を許可。
そこから帰国した者もいれば、残った者もいた。
その後、アレキサンドロスの遠征、ギリシャのヘレニズムの時代
このヘレニズム期がポイントで、人間や物資が地中海世界を自由に往来する時期です。
元々時代をさかのぼればフェニキア人との交流が深かったのがユダヤ人で、紀元前11世紀にはテュロスはイスラエル王のダビデと友好関係を結び、紀元前10世紀にテュロス王のヒラムはイスラエル王のソロモンと共同で紅海の貿易に進出しました。
古代世界最大のユダヤ人コミュニティはエジプトの大都市アレクサンドリアにあり、ローマ属州時代にも存在したもの。
その後セレウコス朝シリア、共和政ローマ、帝政ローマの時代。
そしてユダヤ戦争に敗北し再びイスラエルが消滅し、ペリシテ人の土地という意味のパレスチナという名前が復活。
その後、パルティアの支配下、サーサーン朝、イスラム・・・と支配されるのです。
ここからイスラム支配時代のイベリア半島にいったグループとシルクロード経由で中国、韓国を経て、日本に入って来たエフライム族を中心としたグループ。
新羅と百済が戦争をしていた頃、6世紀から7世紀の話で、百済側が日本の皇室の一つに成りました。
山口県の大内氏が元はタダラ氏(ヒッタイトの流れ)呼ばれた韓国側から来た渡来人で、その後毛利家に成り、長州藩になっていきます。
次にユダ族が中心で、日本には最も遅れて到着したグループがありました。
表で国民が知る天皇はこのグループです。
ここが日本書紀、古事記等を作成しそれ以前の日本の歴史は隠匿しました。
この話の中で、名無し先生からとても面白い話を伺いました。
『鴨がネギを背負ってくる』
と言う言葉の意味です。
皆さんは、鴨鍋の材料なる鴨が付け合わせのネギを背負ってくる、つまり、飛んで火にいる夏の虫的な言葉と思っていないでしょうか?
実はカモネギと言う言葉は、全く意味が違うのでした。
鴨とは、鴨=賀茂のことで、秦氏の下で日本をひっくり返して行った勢力のことです。
最初に日本にたどり着いた渡来人仕切りの日本を後から来た同じ渡来人がひっくり返して行くのですが、彼らがある地域をひっくり返して行くために軍閥を送り込みます。
そして勝利を収め、またその先の地域へと進んで行くのですが、過去に平定した地域の守備が手薄になり、オセロゲームのように再び他の勢力にひっくり返される事がありました。
秦氏=賀茂は、それを防ぐためにアッシリアがやったことと同じ事をします。
それは宗教です。
一度平定した場所に宗教を植え付け、その地域にありもしないお化け話で恐怖支配します。
先ほども書きました、天国や地獄の話やお化けの話です。
これを担当したのが禰宜(ネギ)と言う人物。
ユダヤ教でいうとラビです。
神道で白い紙の束を棒につけてお祈りをする人です。
ここだけはウィキペディアをご参照ください。
禰宜(ねぎ)とは、神職の職称(職名)の一つである。「祢宜」とも書く。今日では、一般神社では宮司の下位、権禰宜の上位に置かれ、宮司を補佐する者の職称となっている。
禰宜の語源は「和ませる」の意味の古語「ねぐ」であり、神の心を和ませてその加護を願うという意味である。古代には、神に祈請を行う者、祭祀に専従する者を指した。古制では神主の下位、祝(ほうり)の上位に置かれ、また、神職の総称とされたこともあった。賀茂神社、松尾社、日吉社、平野社では禰宜は第一の神職とされ、香取神宮、鹿島神宮ではその上に大禰宜が置かれた。明治時代以降は、伊勢神宮と官国幣社に禰宜が置かれた。第二次世界大戦後、全ての神社に禰宜を置く現在の制度になった。
禰宜は、年齢的にある程度成熟し、知識や経験が豊富な者が務めることが多く、一般に、祭祀では重要な役割を果たす[1]。
「禰宜山伏」という狂言では、伊勢の御師(禰宜)と羽黒山の山伏(修験者)が祈祷を競ったところ、祭神(大黒天)が、穏やかな性格の禰宜にひかれていった様子が描かれている。
これがカモネギの本当の意味です。
つまり、賀茂(藤原)が攻め込んできた後には、禰宜(ネギ)がやって来て宗教で支配すると言う意味なのです。
夜の神社やお寺に行ってみてください。
それはそれは怖いですよね。
宗教というのは恐怖で人を縛るもの。
私は今回の新型コロナウイリス騒動はこの部類だと思っています。
お化けだと思っています。
この先、経済が停滞し、株価が暴落し、善良な企業が乗っ取られて行く方が恐ろしいことなのです。
世界はもう戦争モード。
国家と云う概念は存在せず、国民と云う概念も持たないウバイド=倭人グループの一部は普通の企業に姿を変え、存在しています。
以前も書きましたが、トマスグラバーが働いていたジャーディンマセソンは、南北戦争で使用した兵器を日本の両勢力に売りつけ明治維新を起こした企業です。
それが今ではシンガポールからインドネシアの車販売の元締めになってトヨタ、ホンダ等の車を販売しています。
例えば日本では本田技研工業、理化学研究所は軍需産業の跡地にあります。
そこにはA級戦犯、畑俊六の元本拠地、現在の朝霞駐屯地があります。
埼玉県は朝霞周辺。
畑俊六の息子が元埼玉県知事の畑和(はたやわら)。
その息子は三菱の浦和レッズの関係者。
鋭い人ならピンとくるかもしれませんが、畑=秦氏
Wikipediaはもう使わないと言っておいてなんですが、下記Wikipediaより
『新撰姓氏録』によれば秦の始皇帝の末裔で応神14年(283年)百済から日本に帰化した弓月君(融通王)が祖とされる。
朝廷の設立や土地の開拓などに深く携わった氏族であり、その勢力は8世紀、9世紀に更に拡大されたと云われている(明らかにされていない点も多く以下の諸説などがある)。
百済系渡来氏族。「弓月」の朝鮮語の音訓が、百済の和訓である「くだら」と同音・同義であることから、「弓月君」=「百済君」と解釈できる。また『日本書紀』における弓月君が百済の120県の人民を率いて帰化したとの所伝もこの説を補強する(笠井倭人・佐伯有清)。
新撰姓氏録や古語拾遺に依ってハタでなく韓国(からくに)語のハダ(波陀)と読めることから、後で秦(はた)氏を名乗った百済人である。(本居宣長・新井白石)
新羅系渡来氏族。聖徳太子に仕えた秦河勝は新羅仏教系統を信奉していたが、これは蘇我氏と漢氏が百済仏教を信奉していたのと対照的である(平野邦雄・直木孝次郎・上田正昭)。
中国の西に位置する天山山脈の麓にあった弓月国を源とした一族が朝鮮半島に逃れて建てた秦韓(辰韓)を構成した国の王の子孫。新羅の台頭によりその国が滅亡した際に王であった弓月君が日本に帰化した(太田亮)。
中国五胡十六国時代の羌族が興した後秦に由来する。また、羌族がチベット・ビルマ語派に属するチベット系民族であって、同言語においてハタは辺鄙の土地、ウズは第一、キは長官を意味することから、ハタのウズキとは「地方を統治する第一の長官」を意味する。同様に、マは助詞「の」、サは都を意味することから、ウズマサは「第一の都市」を指す(田辺尚雄)。
景教(キリスト教のネストリウス派)徒のユダヤ人が祖とされている。(日ユ同祖論)。(佐伯好郎)。
『隋書』には、風俗が華夏(中国)と同じである秦王国なる土地が日本にあったことが紹介されており、これを秦氏と結び付ける説もある。
畑俊六
『忠鑑 畑元帥』によれば、畑家の遠祖は畑時能。白虎隊士として飯盛山で自刃した西川勝太郎は畑能賢の従弟である。
畑 時能(はた ときよし、正安元年9月15日(1299年10月10日) - 興国2年/暦応4年(1341年))は、南北朝時代・南朝方の武将。六郎左衛門。畑胤時の次男。母は久納養哲娘。子に時純、或いは能速。兄に時継。新田義貞の側近で、後代に新田四天王の一人に数えられた。
畑氏の出自は『姓氏家系大辞典』では秦氏、『苗字尽略解』では多治比氏とされるなど諸説ある。
武蔵秩父郡出身。
Wikipedia以上
秦氏の氏神、三柱鳥居のある木嶋坐天照御魂神社
そこから出た家系は現在は企業に姿を変えています。
三+鳥居=サントリーとか。
別にサントリーが悪いと言ってないですからね。
ところで畑俊六は広島の原爆で被曝するも奇跡的に難を逃れたと言われています。
8月6日の広島市への原子爆弾投下により、国鉄広島駅付近で被爆するも奇跡的に難を逃れた。被爆直後から畑は広島市内で罹災者援護の陣頭指揮を執り、広島警備命令を発令した。
本当に奇跡なのでしょうか?
被爆直後から陣頭指揮をとれたのはなぜでしょうか?
1940年代の朝霞駐屯地の地図をみると東武線からの引込線が有りますが、一体、何を作っていたのでしょう?
それでは